カンボジアリバーサイド応援隊

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日本育ちのカンボジア人友人



私の知り合いに、変わった経歴のあるカンボジア人がいてます。日本語ペラペラのC君です。

彼はなぜ、日本語がペラペラかと言うと、お父さんが、日本でカンボジア大使館、の運転手をされていました。その関係で、C君は少年時代を日本で過ごします。日本の学校を高校まで卒業します。読み書きも、話す言葉も全く日本人同様です。


日本語をベラプラに話すカンボジア人は、

① 日本の大学に、進学しました国費留学生。

② インドシナ難民として、神奈川県大和市に受け入れられ、日本の教育を受けたカンボジア人。

となりますが、C君はそのどちらにも、属さない珍しいタイプとなります。


②のインドシナ難民は、余りご存知ないと思いますが、1975(昭和50)年ベトナム戦争終結後、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では相次いで政変が発生し、迫害を受ける恐れや、国の将来に、不安を抱く人々が続出し、祖国を脱出します。これらの人々は、インドシナ難民と呼ばれます。


日本は、今は殆ど難民認定をしませんが、当時はアジアの情勢を鑑み、難民を受け入れて難民認定をしておりました。その難民認定された、カンボジア人の子供が、日本の教育を受けました。

今は、何人かは、カンボジアに戻って来て、日系の会社で働いている様です。


C君はお父さんの、カンボジア帰国に伴い、プノンペンに戻って来ました。彼は面白い事に、クメール語は話しますが、読み書きは、やや苦手な様です。

クメール語も、日本で家族内だけの会話ですので、やや不安が有る様でした。


プノンペンに戻り、当然日本語が話せるメリットを活かして、日系の会社に就職しました。

その会社は、日本のテレビ放送をクメール語に変換してカンボジアで、放送すると言う会社です。


勤勉な彼は、晩も働きたいと考え、日系カラオケ店に勤めます。昼間は日系の会社、晩は日系カラオケ店です。日系カラオケ店で、働いていますと、日本人はびっくりします。


何故なら、見た目は、カンボジア人ですが、話すとまるっきり日本人だからです。見た目のギャップは大きいですが、根は真面目な日本人の様です。たちまち、日系カラオケ店では、人気者になります。


しかし、有る時に彼から、借金の申し出が有ります。何故かと言うと、昼間働いている、日本の会社の、給料がストップしている、と言います。

えっ、日本の会社で?給料が支払われない?


どう言う事?、とりあえず彼には、幾らかお金を渡します。だんだんと、実情が分かって来ました。彼の昼間、働いている会社は、後に投資詐欺被害で、話題になりますT社、だったからです。


彼は、T社の一部門で、働いてました。

T社の撤退は、素早かった様に思います。

最初から、話しが大きく、胡散くさい会社でした。

しかし、T社の話も、今カンボジアに居てる、新しい日本人は、全然ご存知無いと思います。

もう、大分前の出来事となりましたね。


C君は、今はカンボジア人女性と、結婚されて、ご自分で、お商売をされている様です。

しかし、見た目はカンボジア人で、中身は日本人ですので、本当に驚きますよ。